日本の水草水槽のこれまでの流れ 00.12.11


 
 以下のことは、別に知っていなくてもいいような内容ですが、ほかであまり書かれていることもないので、私の頭の整理をかねて書いてみたいと思います。

 外国ではローマ全盛時代から熱帯魚飼育が始まっていたそうですが、日本に入ってきたのは大正時代だそうです。
 その後、一部の上流階級の人たちが楽しんでいたそうですが、一般の家庭に入ってくるようになったのは、第二次世界大戦後だということです。

 50年代の第一次熱帯魚ブーム(アフリカンシクリッドなど)、60年代の第二次ブームで、グッピーを中心にエンゼルフィッシュ、ネオンテトラといった魚が普及し、その後、ディスカスの大ブームもありました。
 このディスカスブームのときに、ディスカスを繁殖させるために不可欠となる、「水質」についての知識が、一般のアクアリストの間に浸透しました。そして、この知識のおかげで日本の一般のアクアリストが水草レイアウト水槽を維持できるようになったと言えると思います。

 それまでは、水草は単なる「飾り」で、枯れては買い直していました。
 水質について、たいして注意を払わず、かつ、週1回の底砂の洗浄を実践していた多くのアクアリストにとって、水草は消耗品だったのは、当然のことだったでしょう。

 この、水質についての知識の普及や、山崎美津夫氏らの功績により、水草が身近になり、1983年(?)頃に出版された山田洋氏の「アクアートアルバム ザ、グリーン」で、水草レイアウトの趣味が、一気に進歩しました。
 この写真集には、それまで洋書の写真にしかなかった美しい水草レイアウトがふんだんに掲載されていました。

 84年には同氏の「水草百科(上・下)」も出版され、水草育成の詳しい解説・レイアウトの作成方法の知識を得られるようになり、水草レイアウト水槽のブームが本格化しました。

 91年には、ヨーロッパ式の水草レイアウト水槽(ダッチ)の手引書「水草の楽しみ方」(吉野敏氏)が出版されました。

 また、90年代には、それまでも独自の水草育成理論を月刊誌に発表していた天野尚氏が、「ネイチャーアクアリウム」ということばを天野流の水草レイアウト水槽に冠し、次々に発表していきました。

 天野氏とADAの果たした功績はみなさんもご存知だと思います。その美しい写真は、みなの目をひきつけました。育成技術についても、ヤマトヌマエビの積極的な導入・頻換水飼育スタイルの確立し、リシアに代表される今まで目立たなかった水草にもスポットライトをあてました。
 底床を長期に渡って維持するために「パワーサンド」という商品を新たに市場に送り出したりもしました。
 この、天野氏の活動により、水草レイアウト水槽の愛好者が一気に増加する結果となりました。


 水草水槽の普及には、この時点までは、一般のアクアリストの間に「水」についての知識が浸透したことに加えて、器具の開発が進んだことが、原動力となっていました。
 したがって、バブル景気のときには、高価な器具をふんだんに用いた方法が盛んになり、そのおかげで、初心者の失敗も減り、アクアリスト人口が急増したようです。

 ただ、残念なことに、バブルがはじけたあとは、そのような金銭的余裕をもてない人が増え、そのときにアクアリストの仲間入りをした人たちがたくさん水槽を手放してしまったようで、最近、この趣味の人口は低迷中のようです。



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