水草水槽は未だ解明の途上にある 00.12.27


 

1. 水草水槽について、今までに分かっていることは、未だ、そのごく一部に過ぎない

 私だけでなく皆さんも日々実感されることと思いますが、水草水槽はなかなか理屈通りにはなってくれません。たとえば、肥料と水草の生長の関係、CO2とカルシウムの値の関係など、「理屈ではこうなるはず」と思っていても、そうはなってくれないことがいろいろと発生します。
 これは、もちろん、私たちの技量によるところもありますが、水草水槽の中のしくみがまだほとんど解明されていないことにも大きな原因があります。

 日本で水草をレイアウトして本格的に楽しむようになってから、まだその歴史は浅いです。70年代に入って水草をレイアウトに使う人が増え、80年代半ばになって水草が魚と主役の座を分け合うようになり、90年代にやっと水草水槽というジャンルが定着しました。したがって、水草水槽についての研究や技術は、未だ発達途上であり、濾過細菌の定着が必要なことや、濾過のしくみの一部がやっとわかってきたとしても、未だその大部分が解明されないままになっています。
 また、水草水槽は、水草という植物のグループだけでなく、熱帯魚という動物や微生物などが相互に影響を与え合いつつ成立している、一つの複雑な生態系であると言えます。しかし、その一部を構成するに過ぎない水草などの植物の、「光合成」一つを取ってみても、未だ完全には解明されていません。
たとえば、緑色植物が、光合成の過程で酸素(O2)を発生させることは、みんなが知っていることです。しかし、その酸素が発生するしくみに関しては、なんと、未だはっきりしていないのです。
 そうなると、その光合成も含めたさまざまなものから構成された複雑なしくみで成り立っている水草水槽について、ほとんど解明されていないとしても、それは、ごく当然と言えます。

 水草水槽についての解説されている記述の中には、「〜すると、・・・となります」と書かれているものがよくあります(当サイトを含めて)。しかし、殊に育成や維持の方法については、ベテランほど記述が慎重になります。たとえば、「これは、あくまで私の私見です」、あるいは「これは私の方法であり、これ以外の方法が無いわけではありません」といった注意書きが添えてあるはずです。
 これはたしかに、責任回避という意味ももっているのでしょうが、年数を積んだベテランの方は、その方法をとらなくてもうまくいった経験や、また逆に、その方法でもうまくいかなかった経験をたくさんもっているため、記述に慎重になってしまうのです。
 経験を積めば積むほど、自分の予想や計画通りにならない結果をたくさん目にすることになり、そして、自分の知識や技量の及んでいない部分の、その大きさを実感することになるわけです。
 したがって、ベテランになればなるほど「水草水槽は難しい・・・・」とおっしゃるのです。

 

2. 今までに私たちが得た結論も、絶対に正しい、とは言えない

 実証の精神を端的にあらわしたエピソードがあります。

 18世紀、ファン=ヘルモントという人が、地下室に置かれた箱の中に小麦と古いシャツを入れておいたところ、箱の中にネズミの子供が現れたのをみつけました。そこで、彼は「ネズミは小麦と古いシャツから生まれる」と結論づけた、という実話です。

 この当時、まだ生殖という現象が解明されていなかったため、ファン=ヘルモント氏は、このような結論を導くことになったわけです。今の私たちからすれば、笑ってしまいそうな結論ですが、当時解明されていた事柄のレベルからすれば、決しておかしな結論ではなかったはずです。
 このような例は、他にもあります。水草水槽の解説に、なぜか必ず忘れずに紹介される「最小量の法則」で有名なJ.v.Liebig(リービッヒ)は、枯れて腐っている植物からもCO2が発生することを観察していたため、「植物は呼吸を行わない」、と結論づけ、それを前提に彼の植物生理学の理論を構築してしまっています(のちに改説)。
 
 では、私たちが、今、水草水槽について話している事柄はどうでしょうか? たとえば、濾過のしくみについて、私たちは「アンモニアが細菌群に分解されて亜硝酸になり、亜硝酸が別の細菌群に分解されて硝酸塩に変わる」という結論を受け容れています。
 確かに、この結論は理論にも矛盾が無く、しかも、実際の現象とも矛盾せず、今の私にも、「正しい」と思えるものです。
 しかし、先のファン=ヘルモントのエピソードも、当時の人にとっては論理と実際の現象の両方において矛盾がない、という点では同じことです。
 したがって、水草水槽についてのこれらの結論が、本当に正しく、100年後の人間に笑われるようなことは絶対にない、とはまだまだ言えないはずなのです。
 よって、水草水槽について得た情報については、その結論に従いつつも、私たちは、いつも「実はそうでないかもしれない」ということを、心の隅に留めておく必要があると思うのです。

3. 水草水槽の方法論は、まだまだ、どんどん変わる

 その当時において「常識」であったことが、のちに「非常識」になることは、よくあることです。「地球は静止していて、その周りを日や月や星が回っている」という常識が、アリスタルコスやコペルニクスによって非常識に転換されるようになったことは、とても有名な例と言えます。
 そのような、まさに地球が引っくり返るほどの例を挙げなくても、常識がまったく変わってしまうことは、よくあることです。

 さて、アクアリウムの世界ではどうでしょう。私が子供の頃は、水槽の底砂を、週1回、全部取り出してザクザク洗うのが「常識」とされていました。
 しかし、当時、水換えをさぼって何ヶ月も放置しておいた水槽に魚を入れても、意外と死ななかったのです。また、一部の本には浄化細菌のことにが少しだけ書かれていたりもしました。それを見つけた私は、熱帯魚屋のおやじさんに、水を換えずに魚は飼えないのか、と尋ねたことがあります。しかし、おやじさんの答えは、次のような内容でした。
 「自然の川では、どんどん水が流れてくるし、雨も降るやろ。だから、水がきれいになるんや。水槽やと、そんなことないから、水をどんどん換えて、砂の中の毒を出してやらなあかんのや」

 どうでしょう?この説明、とても説得力があるとは思いませんか? 今でこそ「おかしい」と思える説明ですが、当時の私は、このおやじさんの話しで、完全に納得してしまいました。
 もし仮に、当時、「セットしてから40日も50日も経った水槽の方が魚は死なない」なんて話しを私が聞いていたとしても、きっと、「そんな、あほなことあるかいな」と思ったに違いありません。

 さて、今の水草水槽についての方法論は、これからも、今のままでしょうか?
 私は、きっと、どんどんと変わっていき、10年、20年後には「笑ってしまう」ようなことになっていると思います。
 皆さんは、どう思われますか?

 



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